父と姉と

久しぶりに越谷の実家に寄って父を拾い、三郷の姉の家で姉を拾い、千葉の従兄弟の家にお線香を上げに行く。

とても可愛かった従兄弟は、幼少期に親子3人で墨田区の下町の、私の家の隣にあった祖母の家から千葉に移り住んだ。

彼が高校生の時に母親を亡くし、父親と2人寂しい暮らしをしていたのだと思う。

当時の私は青春時代真っ盛りで、自分のやりたいことだけで精一杯で、彼の支えになってやれなかった事が今更ながらに悔やまれる。

時が過ぎ、社会人となっていた私が転勤で神戸に居た頃、彼女を紹介がてら遠路遙々遊びに来てくれた時の照れくさそうな彼の顔は今でも憶えている。

やがて2人は結婚して、千葉の家で父親と夫婦の生活が始まった。

いつしか彼は会社を辞め、独立して飲食店を始める為に何年間か修行していたと聞いた。

その後、家から近い物件を探して居酒屋を開店させ、嫁と頑張って軌道に乗せた。

彼は地元の友人達にとても愛され、支えられ、お店もまあまあ好調だったが、飲酒運転の取締りも厳しくなり、世間の流れには抗えず、少しずつ売り上げも落ちてきた。

元々修行時代はラーメン屋をやりたかったらしい彼は、常連のフードコーディネイターに相談して、何とかラーメン屋にする事に成功した。

そんな風に、時代の流れに寄り添い、負けずに頑張っている彼をみていると、私も頑張らなければと思った。

彼の父親は随分前から脳梗塞で半身不随の生活を送っていた。

私にとっても、子供の頃からとても優しい叔父さんで、本当に可愛がって貰った。

小学生の時の夏休みには、毎年必ず千葉の叔父さんの家に行って、従兄弟と兄弟の様に過ごした懐かしい思い出がたくさんある。

その叔父さんも数年前に亡くなり、その後突然彼も50歳の若さで逝ってしまい、残された嫁と子供と2人で、元々の家族が居ない家に留まり、守ってくれている。

そして、店主の居なくなったラーメン屋も何とか守って来たのだけれど、やはり色々無理があるようで、残念だけど6月で看板を降ろす事になるらしい。

一人っ子で、私をお兄ちゃんお兄ちゃんと慕ってくれていた彼と、また一緒に酒を飲めたらな…

今日はそんな従兄弟の家に、命日の近い彼と、叔父、叔母にお線香を上げに行きます。

そして、彼が作り上げた烏帽子ラーメンの食べ納めに。

aloha